食卓を支える化学肥料の危うい現実(4)持続可能な農業に向けて
食卓を支える化学肥料の危うい現実(4)持続可能な農業に向けて

食卓を支える化学肥料の危うい現実(4)持続可能な農業に向けて

第一回第二回の記事で、人類の発展に化学肥料が不可欠であり、我々の食生活、生活に密接に結びついていること、それが多大な環境負荷のもとに成立していること。環境負荷低減から世界は化学肥料の使用抑制に向かっていることを紹介した。そして第三回では、環境再生型農業を中心に、持続可能な農法について紹介した。

では、環境負荷の高いこれまでの農法とは決別し、持続可能な農業に今すぐ転換しよう!とは簡単にできないのが現実だ。その背景には様々な事情が隠されている。

最終回となる今回は、その背景を明らかにしていきたい。

まずは、これまでの慣行農法とこれからの環境に配慮した農法の違いを理解する必要がある。

環境再生型農業の実際

こんなに環境によい有機農業、環境再生型農業なら、なぜ多くの農家さんが始めないのか?有機栽培が普及しない理由は、「収量も減り、手間もかかり、コストも増える」と言われている。

2016年の農林水産省の意識調査でも、有機農業の面積を縮小する理由のトップは、「労力がかかる」であり、次が「収量や品質が不安定」「資材コストがかかる」である。

「有機農業は収量が上がらないというのは日本だけの話ではない。

国際的な総合科学ジャーナル「Nature」に2016年に掲載されたメタ研究(総合解析)によると、有機栽培の収穫量は、従来の収穫量に比べて平均25%低いことがわかっている。 【MetabolicのCE最前線】有機農業 vs 環境再生型農業

一方、「慣行農法よりも儲かる」と逆の意見も出始めている。近年になり、有機農業、環境再生型農業は、上手くやれば、環境によいだけでなく、収量も上がり、工数も下がり、資材コストも下がるという研究が多く報告されている。

ここで、ラタン・ラル博士を紹介したい。ラル博士は、2020年、農業分野のノーベル賞といわれる世界食糧賞(The World Food Prize)を受賞したインド系アメリカ人の土壌科学者だ。彼は農地土壌中の炭素の貯留量を増やす土壌管理手法を確立し、小規模農家の土壌の健康を改善するとともに、世界の食料安全保障と気候変動の緩和に寄与した。

また、2019年度の日本国際賞(The Japan Prize)においても、「生物生産、生態・環境」分野から、「食糧安全保障強化と気候変動緩和のための持続的土壌管理手法の確立」したとして受賞をしている。彼の「食料安全保障(収量の維持や増加)」と「気候変動緩和、生物多様性の改善」を両立させる農法が、「不耕起栽培」だ。

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上記で紹介したモントゴメリーの「土・牛・微生物」では、世界各地の様々な作物、規模の農地で、上手にやれば収量を維持(または上がり)しながら、工数やコストを大幅に削減した事例が多く紹介されている。詳細は本を見て頂きたい。

有機農業/環境再生型農業は、「収量も減り、手間もかかり、コストも増える」ので大規模には広がらない、といわれる一方、「収量も増え、手間も減り、コストも減る」画期的な農法ともいわれる。果たしてどちらが本当なのだろうか?

実際に様々な研究が行われ、相反する結果が報告されており、専門家でも意見が割れている。農業専門家ではない私なりに、ポイントを整理してみた。

①新旧の栽培方法の混在

上述の「土・牛・微生物」の著者モントゴメリーは、「有機農業や環境再生型農業で収量が上がらない、コストが増加すると言われる要因の多くは、不耕起、被覆作物、輪作の3つを取り入れていない場合、上手に組み合わせていない場合が多い。」と述べている。

農法は進化を続けている。有機農法というと、昔ながら自然派農法をイメージする方も多いが、近年いわれている”新しい”有機農法や環境再生型農業は、昔ながらの農法を参考にしつつ、最先端の科学的知見を取り入れている。区別のために後者を”次世代型有機農業”と呼ぶ人もいる。

また、健康や安全性、ブランディングの観点から、化学肥料や農薬を全く使用しない農法もあれば、環境負荷を下げることが主目的であり、少量の使用は許容しつつ環境に優しい農法もある。

そうなると、「次世代の有機農法を用いればよいだけなのでは?」と思うが、そう簡単ではない。

例えば、アメリカで行われている次世代の有機農法として、穀物栽培と酪農を組み合わせた農法がある。この農法が効果があるとしても、酪農と農業を同時に行える、広大な土地が必要となる。

国土が狭まく、さらに小規模農家の多い日本において、そのような酪農と農業を同時に行える農法を取り入れられる農家さんはごく少数であろう。

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②天候・土壌環境の違い

自然環境(天候や土壌)の違いは、有機農業/環境再生型農業に限った話ではない。もちろん、農業は自然相手の活動である。慣行農法においても、雨、気温、雨量、土から受ける影響は大きい。それらは、有機農業/環境再生型農業において、より顕著に現れるのだ

第一回の記事にも書いたように化学肥料や農薬が広まった理由は、天候や土壌の肥沃度といったコントロールが難しい状況でも安定的に高収量が生み出せる特効薬だからだ。一方で、有機農業/環境再生型農業は慣行農法で無視してきた土壌の生物性を活用した農業だ。

第二回の記事を抜粋したい。

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一昔前は土壌肥沃度は物理性と化学性に左右されるとされてきた。物理性とは、土の硬さや、粒状分布、保水性、排水性のことで、化学性とは、土に含まれている栄養分や、pH(酸性度)、電気伝導度(EC)のことだ。一般的に土壌分析とは化学性のことを指す。 しかし、1980年代以降の土壌生態学、微生物学の発展に伴い、第三の”生物性”の重要性が分かってきた。生物性とは土の中に生息する土壌微生物やミミズや昆虫などの小動物の世界のことである。 土壌微生物とは、細菌、放線菌、糸状菌、藻類、原生動物、線虫などの土の中にすむとても小さな生き物の総称だ。 (中略) 化学肥料を使い始め、有機物がいなくなった土壌では、化学肥料なしでは作物を育てることができない。ここに慣行農法から有機農法への転換の難しさがある。 (第二回より抜粋)

有機物とは生物のことだ。生物は物理や化学と比べて画一的に当てはまるレシピが作りにくい。

例えば、アメリカの大豆農家とガーナのコーヒー農園では、天候や雨量以外に、土壌微生物の生態系も大きく異なるのは想像に難くない。日本国内の同じ地域の土壌を比較しても同じとはいえない。

さらに、物理性(保水や硬さ)や化学性(pHや栄養分)と比べて、生物性(土壌の生態系など)は測定しにくく、比較や分析が難しい。

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移行リスクの高い有機農業/環境再生型農業

加えて、有機農業や環境再生型農業が広まらない最大の理由は、「転用に時間がかかるにも関わらず、転用しても本当に収量が伸びるか、コストが下がるか、売れるかはわからないというリスクがある」からだ。

噛み砕いでいこう。

1.転用に数年かかる

最大の問題が転用に時間がかかることだ。一度農薬や化学肥料を使うと、土壌が変化して無農薬にするのは3年以上かかり、その間、収量は激減する。微生物の回復、土壌の回復にはどんなに頑張っても最低でも3年かかると言われている。

その間に農家は農業を続けられない。収入がないか収穫が激減する。

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農家の収入も増えて環境にもいい、良いこと尽くめな環境再生型農業であるが、果たしてそれは誰もがすぐに実行できるものなのだろうか。「従来の慣行農業から環境再生型農業に移行するには時間がかかります。」と、Tom Newmark氏は語る。 (中略) 「慣行農法を何年も続けていると土壌がダメージを受け、中の有機物や微生物が減少している可能性があります。従来の慣行農法を行った土地で環境再生型農業を始めようとすると、生物や土壌の働きを取り戻すのに3〜4年かかるといわれています。そのため最初の3〜4年は、忍耐強くなければなりません。」 以下、農業でCO2は削減できるのか?コスタリカの「リジェネラティブ農業」より

自分で食べる分を育てる自給自足の農業、兼業農家ならともかく、生活の糧として専業で生業とする農業ビジネスにおいて、数年も売上が激減する方策をとれるだろうか?

さらに、農業は長期の投資型ビジネスだ。キャッシュフローがものすごく長い。資材を購入し、土地を整え、作付けし、収穫まで、野菜でも数ヶ月、果樹では5-10年かかるものもある。

その土地や土壌、作物に合わせた最適なパラメーターを得るのに、最低でも数年間の試行錯誤を要する。その間の機会損失は如何ほどになろうか。

製造業に置き換えて考えてみるとよく分かる。次の時代に沿った新規事業をするために、既存の製造ラインを数年止め、R&D(研究開発)に多大なお金と時間を注ぎ込むようなものだ。

2.転用後、本当にうまくいくかは分からない

さらに、慣行農法以上に再現性のリスクがのしかかる。上述の生物性の観点から、土壌ごとのボラリティ(変動性)は大きい。誰かが成功したからといって、自分の畑で再現できるかは、やってみなければ分からない。

既存の製造ライン(田畑)を犠牲にして、数年を研究開発に費やした結果、期待通りの結果が出ないことも十分ある。以前の慣行農法と比べて収量が上がらないかもしれないし、痩せ細った作物しか育たないかもしれない。

3.売れるかどうかも分からない

さらにである。数年かけて、やっと期待通りの作物、収量が得られたとしても、それが市場で価値がつき、これまで以上に売れるかは分からない。

日本のマーケットでは「形が悪いもの」「虫に食われている」作物は避けられる。土壌の微生物、小動物を活用して育成する有機農業/環境再生型農業では、そこはトレードオフだ。

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以上のように、1.転用に数年を要し、2.再現性にも不安があり、3.マーケットリスクもある。

「環境に良いから、今の慣行農法をやめて環境によい農法に変えてくれ!」というのが、いかに難易度の高い要望か、分かるだろう。

資本力のある大手農家ですら厳しい中、農業の担い手の多くは小規模農家である。これは日本に限らない。世界の食糧の大半は小規模農家が生産している。環境再生型農業は、世界の主流を占める小規模農家の間で浸透しなければ、環境への悪影響はなくならない。

加えて、日本特有の厳しい現状もある。

日本の農家の多くは兼業農家が担っており、農業従事者の高齢化が問題になっている。

「先祖から受け継いだ土地を放棄したくない。あんまり(または全然)儲からないが、義務感もあり農業を続けている。」という農家さんも少なくない。この状況で、化学肥料の使用制限を強引に進めたらどうなるだろうか?

ただでさえ、儲けも少ない中で義務感でなんとか続けてきた方々に、「数年の期間とリスクを経て環境に良い農法に変えてください。」といえば、農業自体を諦めてしまうだろう。

現在の日本において、食料自給率の低下は安全保障上も深刻な課題だ。仮に、多くの農家さんが農業を放棄してしまったら、日本の自給率は更に低下する。環境に良いからという理由で強引に進めて、農家が農業をやめてしまい、自給率が下がっては本末転倒だ。

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消費や流通の課題も

生産側の課題に加えて、サプライチェーンの下流にあたる、流通や消費者側の課題も追記したい。

日本においては、有機食品は健康や安全性を理由に選ばれており、環境要因は低い。以下、流通・加工業者が有機食品を扱っている(取り扱いたい)理由の意向調査だが、安全面が圧倒的に一位なのが見てとれる。

それゆえ、前述したように、日本の消費者は「形が悪いもの」「虫に食われている」作物は避けられる。

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日本では、作物の見た目が曲がっていないか、色はどうか、虫や鳥に食べられた跡はないか、など市場に流通する際の規格がかなり厳密でやや過剰ともいえます。一般に消費者の好みが理由とされます。生産者と流通の力関係も影響しており、市場で価値が下がってしまうため、農家が積極的に農薬を使うことにつながっています日本の有機農業がいま一つ広がらない構造要因」より

本当に有機農業/環境再生型農業を広めたいならば、作物の安全性を全面に出すべきではないのだが、日本では安全性が第一になっている。

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有機農業の拡大に際して気をつける必要があるのは、作物の安全性を前面に出すべきではないという点だ。健康志向を理由に有機農産物を買っている消費者が少なくないが、農薬もルールに則して使えば安全性に問題はない。そこが混乱すると、慣行農業に対する不当な批判になりかねない。 大切なのは地球環境の未来にとってどんな農業がふさわしいかだ。その点で、栽培面でハードルが高い有機農業だけでなく、農薬を使いながら量を減らす努力にも十分意義がある。 「有機農業、農水省なぜ推進? 目標は25%だが、日本ではまだ1%未満

慣行農法に最適化された業界構造

消費者や流通業者の意識に限らず、農業業界全体が慣行農法に適した業界構造となっている。半世紀以上も慣行農法が主流だったのだから当然といえよう。各地の農協(JA)、スーパーマーケットの流通、販売経路など、慣行農法で栽培された作物の方が圧倒的に有利だ。

つまり、生産側で、慣行農法と同量かそれ以上の収量を作り、手間もコストも抑えられたとしても、慣行農法に最適化された社会システム、業界システムでは不利になる。

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日本では、有機農業は、気象条件等から品質、量の安定的な生産が難しく、概して生産が点在し、小口物流が中心となっていることから、流通サイドでの効率的・安定的な農産物の調達が難しいためである。 また、除草等に労力を要すため生産コストがかさみ、小口物流で物流コストがかさむことで仕入価格が一般農産物より高いことも要因である。 すなわち、量販店等での取扱い拡大には、品目・数量における一定品質での安定的な農産物供給と価格の抑制が課題となる。 農林金融2019・7「有機農産物等の市場拡大の要件」より

例えば、日本の農協。農協は農家さんが農業生産に従事できるように、農業資材の支援、農業金融、保険、買取、流通網、販売網など、様々なサポートを提供している。その農協の恩恵を受けられなければ、農家が独力で流通や販売網を築くことになる。ただでさえ、難易度の高い農法に挑む中で、生産以外の流通や販売チャネルを作り上げるのは大変な苦労がある。製造業に例えると、工場長が営業部隊とマーケティングを兼任している状況だ。

もちろん、農協によっては環境再生型農業など新しい農業に肯定的な農協もある。一方で、地域差もあり、旧来の慣行農法を促進している農協が多いのも事実だ。以下は、新規農業参入者の出荷先の割合を示したものだが、有機以外が圧倒的に農協に依存しているのに対し、有機では2割以下となっている。

日本に限らず、他国でも既存の社会システムが環境保全型農業の促進を阻むケースはある。

例えば、アメリカの作物保険(Crop Insurance)だ。作物保険とは収量が減少した場合にそれを補てんする保険のことだ。本来は、農業の変動性リスクをカバーするために生まれた保険だが、現在の作物保険制度では、慣行農法を手放して環境保全型農業へ移行するインセンティブが働かない構造が問題視されている。

まさに転換期の真っ只中!

いかに環境再生型農業が環境に好影響を及ぼし、収量もコストも手間も同程度か改善する余地があっても、数年の移行期間の間、収入が大幅に減少するのは避けられないし、その結果、数年後に本当に収量が上がり、コストも手間も軽減されるかも分からない。農業生産側の課題に加えて、消費者や流通システム含めた社会が阻害要因になっている。

せっかく頑張って、環境再生型農業に転換したにも関わらず、流通に乗らない、消費者が買ってくれない、では一介の農家が熱意を持って取り組むだけでは難しい。

しかし、この状況が次の10年で激変するかもしれない。

まさに今、世界では環境性再生型農業への移管を後押しすべく、行政のトップダウンの取り組み、民間企業の取り組みが加速している。

■EU

2023年から実施予定のEUの農業政策(Common Agricultural Policy:CAP)の中で、「Carbon Farming」(炭素貯留)、精密農業などが補助金の支給対象に加わる予定だ。

■アメリカ

バイデン政権はカーボンバンク構想を推めており、炭素貯留への補助金を促す考えだ。

カーボンバンクとは、炭素貯留に取り組む農家へカーボンクレジットとして補助金を支給するものだ。将来的に排出権取引制度(ETS:(Emission Trading System)が広がることで、政府資金だけでなく民間資金も活用していく。

■グローバル企業(民間)

公的機関以外にも農薬・化学肥料世界大手米コルテバ・アグリサイエンスは4月8日、農家向けにリジェネラティブ農業への転換支援サービス事業「カーボン&エコシステム・サービスポートフォリオ」を始めた。

世界的な食品メーカーの仏ダノンも2018年に540万ユーロを環境再生型農業への移行支援に拠出している。

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農家にとって、環境再生型農業への移行は非常に大きなリスクを伴うものだ。これらの移行に伴う資金援助は、慣行農法からの転向を促す大きな後押しになるだろう。

一方で、生産側がどんなに努力しても、買い手が変わらなければ、パラダイムシフトは起きない。慣行農法と比べて不利にならない業界構造(流通・販売)、消費者の意識変革が重要となる。

持続可能な農業へ

さて4回に渡って、化学肥料から始まり、有機肥料、そして環境負荷の少ない持続可能な農業への転換について述べてきた。

化学肥料がなければ、これだけの人口が飢餓に陥らない世界は生まれなかった。同時に、地球に多大な環境負荷を与えてきたのも事実だ。新たな研究や技術で、環境負荷を大幅に下げながら収量も確保する農法(環境再生型農業)が生まれている。

また、新たな農法への転向は、農家さんは最低でも数年の移行期間、収入源に加え、再現性の課題や販売流通など様々なリスクを伴うので、そのために、EUやアメリカ、食品メーカーを中心としたグローバル企業らにより、この移行リスクに対処する資金の流れは加速している。

しかしながら、いくら生産システムが変わっても、我々消費者、流通、小売、食材店、レストランなど社会全体が受け入れなければ、環境負荷の低い農業が定着することはない。

次の10-20年で環境再生型農業が普及するかどうか?は生産側の変化とともに、われわれ個人の消費行動を含めた、世の中の仕組み、社会実装が行えるか?に委ねられている。

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