太古の日本は男女共同参画社会だった
太古の日本は男女共同参画社会だった

太古の日本は男女共同参画社会だった

公開日
Aug 24, 2021
シリーズ
ライター

ジェンダー・ギャップ後進国・日本

世界経済フォーラム(World Economic Forum:WEF)が公表した「ジェンダー・ギャップ指数2021」では、日本はG7やTPPなどでは先進国として名を連ねてはいるものの、こと男女格差においては、後進国であることが浮き彫りになっている。

日本には、「男尊女卑」という言葉があるように女性の地位が低く置かれ続けてきた歴史がある。では、いつ頃からそんな社会システムが出来上がったのか。歴史を紐解いてみようと思う。

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太古から日本は男女共同参画社会だった

伊勢神宮の主祭神をご存じだろうか。内宮は天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)、外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)。天照坐皇大御神は大日女(おおひめ)と記述されることもある女神として解釈されている。豊受大御神は豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)とも呼ばれ、五穀をつかさどる女神である。

神代以降、女性が国を治めた時代は何度もあり、鎧兜を身にまとい男性と同等に渡り合った強者として武勇で名を遺した女性も一人や二人ではない。過去の女性の活躍史として、日本の歴史を見直してみるのも面白い。「戦う女性」というくくりでは、『女武者の日本史』(朝日新書 長尾剛著)に詳しく書かれている。

「朝鮮征伐」と聞くと、豊臣秀吉が真っ先に思い浮かぶが、それ以前に女性がリーダーシップをとって出陣した史実として、『日本書紀』の記述の中に神功皇后の「三韓征伐」と斉明天皇の『白村江の戦い』が存在する。

※出典:『女武者の日本史』(朝日新書 長尾剛著)

巻第九 神功皇后 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)では、出兵時とその後の記述から、政治的手腕にも優れた女性であったことが伝わる。 巻第二十六 斉明天皇 天豊財重日足姫天皇(あめのとよたからいかしひたらしめのすめらみこと)は巻第二十四に皇極天皇として即位後、斉明天皇として重祚。大化の改新や蝦夷平定といった動乱の時代に国を治め、朝鮮半島への軍事介入のための出陣中に現在の福岡で崩御。

※出典:日本書紀(講談社学術文庫 宇治谷 孟 著)

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その後、律令制が中国から入ってきた時代(奈良~平安時代)には、貴族社会では一部の女官を除き女性が表舞台に出ない時代へと変化したが、庶民レベルでは、租(男女の農民に課税され、収穫の約3%の税)庸(都での年間10日間の労働又は布を納める税)調(布や絹などの諸国の特産物を納める税)などの当時の税制から考えて、男女が協力して働く「共同労働」社会だったのではないだろうか。そして税制はかなり整備されていたようである。

中世~近代にかけて女性の地位は低下

制度変化の歴史の一つとして、婚姻形態がある。日本では古来、「妻問婚」の時代が長く続いていた。庶民の記録で現存するものは少ないが「妻問婚」に関しては、『源氏物語』の記述によって、当時の貴族社会の状況を伺い知ることができる。数ある訳本の中でも、原文の雅やかさを十分に残しながらも、わかりやすい現代語訳という点で、円地文子訳をお勧めしたい。

鎌倉時代以降、武士が勢力を拡大して武家社会へ移行したことにより、「家」という考え方が重要となり、江戸時代には、『武家諸法度』で取り締まられるほど、勢力基盤を盤石化するために政略結婚は重要なものと考えられた。そんな中、婚姻形態も次第に、「嫁入婚」へと移行していった。このあたりの時代変化は先に紹介した『女武者の日本史』からも読み取れる。

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徳川幕府開府以降、封建制による社会秩序が出来上がるにつれ、女性に対しては「三従の教え」が是とされ、明治~大正~昭和に続く350年ほどの歴史が大きな影響を与え続けている。

江戸時代までは、まだまだ女性の権利がある程度は認められていたが、明治31年の民法改正で、「家制度」が法的に確立した。昭和に入り、軍国主義的な社会秩序維持のため、「家制度」に基づく価値観がすべての国民に対する学校教育、家庭教育として取り入れられ、一部の世代にはいまだに「あるべき姿」として影響し続けている。

東京大学男女共同参画室も、下記のように述べている。

在校生の男女比率に差が出る大きな原因の一つは、大学受験の際に東大を目指す女子が少ないことにあります。「男子は良い大学に行って良い職に就いて、家を継ぐ。女子は家庭を守り、男子を支える」という性別の役割分担意識が、まだ日本社会に根強く残っていることが一因です。

子供の進路選択に対して旧来の役割意識から影響を与えることは、その後の人生も左右する。子供の将来を思ってのことであれ、時代によって価値観は変わる。将来の進路選択の自由を残す上でも、「何のために学ぶのか」の目的意識があり、進学の条件が揃うなら、男だから、女だからといった差別は、もはや不要ではないか。教育の機会均等から変えていかなければ、あらゆる物事への意識も変えられない。

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男女共同参画社会への回帰

平安時代に律令制が取り入れられ、武家社会を背景とした封建制度が確立し、「家制度」に縛られることになる明治~昭和(戦前)へ。新しい制度が取り入れられるたびに、女性の在り方が不自由な方向へ変化していった。 第二次大戦の終戦を機に、女性の社会参加、地位向上に目が向き始めることになる。現在、時代の移り変わりに、意識変革のスピードが追い付いていない状況があり、あらゆる場面でその不合理さが露呈してきている。

江戸っ子は三代続いて初めて、江戸っ子と言われる。三代100年くらい続かないと価値観や意識は変わらないということだろう。第二次大戦後、既に76年を経て、社会状況は大きく変わった。ほぼ100年続いた「家制度」時代の記憶を塗り替える時期に来ている。

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コロナ禍によって在宅時間が増え、「家族」「夫婦」「親子」「パートナー」などとの関係性により向き合わなければならなくなったことで、役割分担意識が大きく変わった。制度による行動変容には限界がある。しかし、意識の変化によって行動は変えられる。制度由来の古い価値観上の男女の役割ではなく、一人一人の「今を生きる」人間として考え、互いに補い合っていくことを意識していけば、「優しい社会・男女共同参画社会」を、きっと取り戻せる。

日本には元来あったはず、なのだから。

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