インプロと心理的安全性(後編)
インプロと心理的安全性(後編)

インプロと心理的安全性(後編)

 前回の前編では、インプロと心理的安全性が共に「怖いとか不安とかは学習においてよくないと考えている」ということを共有しているんじゃないかってことを書いていました。

 ここからはもうとてもインプロ寄りの話になっていくのですが、すなわち、インプロの提案するモデルが心理的安全性にも重なるのではないかという期待を込めて書いていきます。「心理的安全性を高める新しい何かを学習する」よりも「すでに心理的安全性を低めてしまっている何かをやめる」方がいいんじゃないか?ということを書いていこうと思います。

 もちろん新しく何かをトレーニングしてある好ましい振る舞いやスキルを習得することも重要です。ですが一方で、もうすでに身につけてしまっているあまり効果的でない、あるいはむしろよろしくない働きをしている振る舞いやスキルをふり返り自覚し、やめていくということも考えていく必要があるのではないかと思います。

 少し回りくどいですが、とても肝要な部分ですので、もう少しインプロを詳しく見ていきながら説明していこうと思います。

 インプロでは、即興をする能力自体は教える必要のない能力だと考えています。なぜなら、人は生まれながらにして即興的だと考えるからです。私たちは成長に応じて、その都度、即興的に学習を進めていきます。その時にはリスクを取り、できるかできないか五分五分のチャレンジをすることも伴っています。例えば、ハイハイからつかまり立ちをする時も、私たちは失敗/転倒のリスクを取って、何度も失敗しながら2足歩行を学習するようになります。また、最初は相手に伝わらなくとも試行錯誤をしながら言葉を学習していきます。これは子どもの頃だけではありません。私たちが新しい環境に身を置く時だって、即興の出番です。新卒で入社した会社に馴染んでいく過程であっても様々なことを学ぶ時に、私たちはリスクを取って即興的に吸収していきます。

 即興的な時、心理的安全性と似たような状態に人はなっていると思います。つまり、即興的な時というのは、対人関係上のあれこれよりも目の前の課題に没入しており、そして積極的にリスクテイキングしていきます。その結果、失敗を積み重ね、新しいことが生まれることもあります。即興においては「失敗」をきちんと積み重ねられることが非常に重要になります。なぜなら失敗をすることなく何か新しいことを学ぶことはできないと考えているからです。そのため、たとえ失敗したとしても大きな損失が出ないような環境下をデザインし、その中でたくさん失敗してもらう。そうすると人はもう一回チャレンジし直すことも厭わないようになります。

 このように、人はもともと即興的と言っても過言ではないのですが、それと同時に即興を管理する文化やコミュニケーションもつくり上げていきます。というのも即興はいかんせん何が出来上がるのか予測ができませんから、成果物のクオリティを繰り返し担保するためには私たちの普段の即興を管理した方がいいです。しかし、これがイノベーションや、クリエイティビティの実践にまでこの即興を管理する文化が及ぶと非常に矛盾した環境が出来上がります。アクセルとブレーキを同時に踏むような状況です。どこにも向かいません。ただコストがかかるだけになります。そのため、目指す目的に応じて即興を徹底的に許すのか、管理するのかをうまく使い分けなくてはいけないわけですが、私たちは大量生産・大量消費で一定のクオリティの成果物を大量に再生産し続ける組織文化の基礎を築いてきたので、基本的なモードが「即興を管理する文化」に馴染んでいると推測されます。

 「即興を管理する文化」の中でどのような雰囲気が横行するか例をあげてみましょう。1つ目、失敗すると大ダメージが及びます。もちろんビジネスで失敗しないに越したことはありませんが、ビジネスと直接関係のない日常的なコミュニケーションの場や会議の場において失敗は、辛いとかとても傷つくというような状態を誘発します。それでは人は即興を怖れ、リスクを取れるようになりません。2つ目、正しいことか間違っていることかを過剰に気にする。「即興を管理する文化」の中では正しい行いと間違っている行いを暗黙に設定していることがあります。正しい行いをしている間は何も起こらないのですが、間違った行いをした瞬間にコミュニティから浮いたり、ご指導を賜ることになります。そのきまりの悪さを目撃したり体験したりすることを何度も繰り返すことで、表現にブレーキがかかるようになります。自然にアイデアが浮かんだとしても、それを発言したり行動する前に「このアイデアは正しいかどうか」を気にして、身動きが取れなくなっていってしまいます。

 このように「即興を管理する文化」の中では「失敗が大ダメージである」ことと「正しい/間違っているにこだわる」という雰囲気の中で各人はコミュニケーション能力を発揮しています。最近ではそうしたシステムに変革を起こそうとインプロを推奨する組織が増えています。しかし、そもそも「即興を管理する文化」のままで即興を推奨しても、あまりいいことは起きません。即興を推奨するなら「即興を徹底的に許す余白」を作らなければなりません。この場所なら徹底的に自由になれる、思いっきり即興ができる、そのような特別区域が作られることが必要です。その空間では失敗しても傷つかない、変なこと言っても浮かない環境を徹底していれば人はその環境に適応しようと自然と即興的になっていくとインプロでは考えています。しかし、大抵は環境の問題ではなく、個人のスキルの問題に矮小化されたり、「即興を徹底的に許す余白」が浸透する前にチームが解体されたり、「皆さん、この場では自由に即興的にしてもいいですよ」など言葉だけの表面的な実践になってしまいます。

 「即興を管理する」テクニックは、私たちの日常生活の中に多分に溢れかえっています。それらのテクニックはむしろ重要なコミュニケーション・スキルとして認知されていたりして積極的な習得を求められていたりもします。これは私の予想に過ぎませんが、例えば、こうした話をしていると真っ先に思い浮かぶ言葉は「いいアイデアだね!ぜひやってみなよ!」です。この言葉は一見、寛容的で即興を許しているようにも思われますが、実際に起きていることは発案者の仕事を増やし、その人に責任を負わせるように機能します。こうして挑戦を試みた人たちは協力者を得られず、次第に孤立していき、アイデアが実現することはありません。    このような「即興を管理する」テクニックが人の挑戦心を枯らしているかもしれません。それが積み重なった先には学ぶことを諦め、委縮して自分のアイデアを自分で抑圧するような人ができあがります。少し心理的安全性の話からはそれてしまいましたが、私たちは心理的安全性を高めようとするのではなく、むしろ普段のコミュニケーションがそれを低めているかもしれないという想定から現場を眺めかえしてみるとまた異なる角度から議論をしていくことができるのではないでしょうか?

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執筆者

Deeper ライターズ

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