その発言大丈夫?あなたの発言・行動で墓穴を掘らないための処方箋
その発言大丈夫?あなたの発言・行動で墓穴を掘らないための処方箋

その発言大丈夫?あなたの発言・行動で墓穴を掘らないための処方箋

ライター
公開日
Aug 17, 2021

スポーツへの関心はひと一倍すくないと自負している私だが、本稿では、スポーツに関する2つの話題を取り上げることから始めたい。

グリーズマン、デンベレというふたりのサッカー選手(両名ともFCバルセロナに所属し、フランス代表にも選ばれている)が、過去の日本人に対する差別発言で窮地に立たされているらしい。

動画がネット上で拡散され、批判の声が高まりつづけた結果、コナミはグリーズマンとのアンバサダー契約を解除し、FCバルセロナのスポンサーである楽天の三木谷氏も公式に抗議声明を出すなど、ふたりへの批判はとどまるところを知らない。

もうひとつは、メジャーリーグで活躍中の大谷翔平選手について。球界の歴史を塗り替えるような活躍ぶりに、同選手の一挙手一投足に全世界から注目が集まっている。私が感心するのは、このような異常なほどの注目のなか、本人の佇まいと言動は自然体でありながらまったく隙がないことだ。

周囲は常に騒がしい。最近は、彼が英語を話さないことを批判したコメンテーターが、差別発言として謝罪と撤回に追い込まれる出来事があった。もし大谷選手本人が、なにか不用意な発言をしようものなら、それこそ大変な騒ぎになりそうだが、安心してみていられるのは私だけだろうか。(現在、大谷選手は27歳、グリーズマンは30歳、デンベレは24歳と、ほぼ同世代なのもここで触れておこう)

大谷翔平選手を「英語が話せないのは良くない」と持論展開。米コメンテーターが失言だったと謝罪

ナンバーワンである大谷翔平選手が英語を話せないのは良くない――という趣旨の発言したコメンテーターが、謝罪した。 発言をしたのはスポーツ専門チャンネルESPNのコメンテーター、スティーブン・A・スミス氏。 スミス氏は7月12日、 Twitter で「本当に申し訳ありませんでした。どんなコミュニティ、特にアジア人のコミュニティや大谷翔平選手自身を、不快にさせるつもりはありませんでした」と、大谷選手だけではなくアジア系の人たちへの謝意も伝えた。 MLBでベーブルース以来と言われる投打の「二刀流」に挑戦し、さらに現在ホームラン数33本とメジャートップに立つ大谷選手。 アメリカのメディアは連日大谷選手の活躍を伝えており、スミス氏も7月12日に放送されたESPNの番組「First Take」で、大谷選手は「特別な選手だ」と賞賛した。 しかしその一方で「英語を話さずに通訳が必要な外国人選手は、球団の売上にとって、ある程度の痛手となる」という 持論を展開 。 「観客を、テレビや球場に集めて試合を見てもらおうとする時には、ナンバー1選手が通訳を必要としているということは良くない。なぜなら、本人が言おうとしていることを理解できないからです」と述べた。 Stephen A. Smith on Shohei Ohtani: "I don't think it helps that the number one face is a dude that needs an interpreter so you can understand what the hell he's saying in this country."

大谷翔平選手を「英語が話せないのは良くない」と持論展開。米コメンテーターが失言だったと謝罪

冒頭のサッカー選手の差別発言の話題に戻るが、両選手が発した"差別的"な言動は、日常のなかの無邪気で下品な戯れの会話の延長のようにも見える。本人たちにしてみれば、意図して差別しようとしたわけではないだろうから(差別発言とはそもそも意図せず発されるものなので弁解の余地はないものの)、この顛末におおきなショックを受けているであろうことは想像に難くない。いわば、自分自身の未熟さから平手打ちを食らっているとともに、社会の規範と自分の当たり前とのすり合わせに失敗した例ともいえる。

Photo by Jon Tyson on Unsplash
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他人事ではない

ここから、僕らに対してこれらの話題が示唆していることを考えていきたい。

これは、プロスポーツ選手という特殊な境遇の人たち、いわば「公人」に関することであって、自分には関係ないことだと考える向きもあるだろう。私はそうは考えない。私も、これを読んでいるあなたも、大なり小なりは「公人」であって、自分の未熟な発言が周囲に与える影響、そして社会と自分との間のズレには、よく注意を払う必要がある。

ためしに自分や自分の周囲を見渡してみると、ところどころに偏見と先入観が存在していることに気づく。昭和50年代生まれの私は、自分の家族や友達やテレビのなかの人たちが同性愛者を見下すような発言をするのを、当たり前のように見ながら育ってきた。

また、母が専業主婦だったので、男は外で働いて女性は家にいるものという先入観を、すくなくとも若いころまでは持っていたと思う。最近は、小学校2年生の私の息子が、家族との会話のなかで、”ガイジン”を小ばかにするようなことを突如言いだして、どこでそんな考えを仕入れたのかと驚いたことがあった。

あなたも、自分や周囲の人たちの言動を改めて振り返ってみてはどうだろうか。

この現象は、タバコの煙に似ている。もし、自分の周囲の空気が汚れていたら、吸い込むこと、自分がそれに汚染されることは避けようがない。タバコの煙はひどく臭うが、その場にしばらくいて慣れてくるとほとんど気にならなくなる。煙をたっぷり吸いこんだ身体は、今度は周囲に対してそれをばらまく側に転じてもおかしくない。

Photo by Bianca Berg on Unsplash
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社会と自分のズレにどう対処するか

では、どのように自分の発言に注意すればよいだろうか。改めて考えてみると難しい。そもそも、問題ある発言は、当事者にとっては、吸った空気を吐き出すように、意図せず起こすものだからだ。意図できないものは、コントロールもできない。だからといって、失言を恐れてずっと黙っていることもむずかしい。

「仮面をかぶる」という作戦が、まず思い浮かぶ。私たちは、仮面の扱いにはわりと長けている。「課長」であれば「課長」という立場を演じることができる。仮面をしっかりと身に着けて、メンテナンスをちょくちょくしながら、綻びがでないように細心の注意を払うという振舞いもできるだろう。

Photo by Tamara Gak on Unsplash
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しかし、このような生き方を生涯やり通すことはできるのだろうか。また、どんな仮面を身につければよいかの判断軸を、どこからもってくるかという問題もありそうだ。さらに、失言を恐れて仮面をかぶり続けるような生き方を、果たして私たちは本当に求めているのだろうか。

自分の発言に足元をすくわれたくはない。同時に、黙り込むのでも仮面をかぶるのでもなく、いわば素の自分でありたい。二律背反にも思えるこの課題に、僕らは直面している。この課題に対して、現時点で明快な答えを持てているわけではないが、いまふんわりと考えているふたつのトピックを共有して、この記事を締めくくりたい。

ひとつは、個人としてできることについて。大谷選手が高校生時代につくったといわれている目標達成シートの、とくに「運」というところをみると、高校生にして偉人の視座でものを考えていたことがうかがえて、ただただ驚かされる。10年以上前につくったこの目標への取組みが今の彼をつくっていると想像すると、色々と合点がいく。

ただし、書いて終わり、ではなかったはずだ。このシートを参考にすれば、自分なりの目標をつくるところまでは、おそらく誰でもできるだう。大切なのは、その次のステップだ。これらの目標を言語化したあとで、自分の行動を日々振り返って、目標と現実の差分を確認してギャップを埋めようとする試行錯誤を、大谷選手はきっと続けていたのだろう。

鏡をみるように、自分の行動を日々振り返ること。そのための尺度として、「こうありたい」という目標をクリアに言語化すること。この組合せがポイントになりそうだ(なお、この目標シートの中核部は「ドラ1・8球団(8球団からドラフト1位を獲得)」なので、これは過去の目標だ。現在版の目標シートがあるとするならば、何が書かれているのか興味がつきない)。

組織やチームとしてできること

さっき、「仮面をかぶる」という姿勢に触れたが、これにはおおきな落とし穴がある。仮面を巧妙にかぶるほど、つまり自分の素の部分を周囲に対して巧みに覆い隠すほど、周囲から自分に対する厳しいフィードバックを受け取りにくくなる。そうすると、自身の振舞いについて内省して社会とすり合わせるという学習プロセスがうまく働かなくなり、自分と社会とのズレがいつか許容水準を超えてしまうかもしれない。

私の会社のミテモでは、「ミテモの歩き方」という指針めいたものをもっている。このなかで、私が特に気に入っているのは、「火花を散らそう」と「言葉を尽くそう」だ。

真剣に仕事に向き合うなかでは、ときには「火花を散らす」必要がある。乱暴な言葉づかい、未熟で剥きだしの本音も、出してよい。逆説的だが、不適切な発言すら、ある程度は許容されてよいかもしれない。そこに「言葉を尽くそう」というフィロソフィーが働くと、周囲からの違和感の表明がかえってくるはずだからだ。

Photo by Daniel Herron on Unsplash
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このフィードバックに耳を傾けることで、当事者は、自分と社会とのズレを学習することができる。また、このような対話の機会のなかから、周囲の人たちも自分の規範を省みて、アップデートしていくことができる。日ごろから小さなボヤが起こって、都度消火活動をすると、結果として、大きな火事を回避しやすいということかもしれない。

社会規範そのものが動的なものだということも、改めて念頭に置いておきたい。そもそも、社会規範というものはすこしずつ変化しているものだ。ひと昔前であれば、社会の変化は比較的緩やかで、ひとりの人生の尺のなかでは、社会はすこししか変化していなかった。これまでの感覚では、ひとりの人生のなかで、社会規範の変化をそれほど意識する必要はなかったのではないだろうか。しかし、社会の変化のスピードは、今では、僕らが素朴に思い描くよりもずっと速い。過去のセクハラ行為によって辞任に追い込まれた米国ニューヨーク州知事のクオモ氏が発したという下記の釈明は、そのことを力強く物語っている。

自分自身の考えでは一線を越えたことはない。ただ、その線が引かれている場所がどれだけ変わっていたかということを認識していなかった。

僕らにいま必要なのは、ハザードマップなのかもしれない。洪水のリスクが高いエリアに住んでいるという自覚があれば、大雨警報が出たときに「避難する」という行動が可能になる。これと同じように、社会規範のOKゾーンとグレーゾーンの境界を示してくれる「ハザードマップ」がもし手元にあり、この地図上の自分の位置がおよそでもわかれば、自分がとるべき対処は明確になるだろう。

問題は、あなたの街のハザードマップであれば自治体が用意してくれるが、社会規範のハザードマップは誰かが与えてくれるとは限らないことだ。つまり、自分の手で創るのがよいかもしれない。たとえば、職場のコミュニケーションのなかで、(たとえばハラスメントとしては、)どのような言動であればOKで、どのような言動はグレーにあたるかを同僚と一緒に話し合って確かめてみるのはどうだろうか。

Photo by Pop & Zebra on Unsplash
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