コロナ禍で得た「どこでもドア」とサードプレイス論 (1)
コロナ禍で得た「どこでもドア」とサードプレイス論 (1)

コロナ禍で得た「どこでもドア」とサードプレイス論 (1)

2020年、新型コロナウィルスの影響を受け、多くの人が生活の変化を余儀なくされた。大学の授業などのオンライン化、テレワークへの移行を制約と捉え心理的な負担を覚える人たちがいるとされるが、実は私自身の生活にはこの変化は「ポジティブな変化」として表れた。

その変化を一言で表すと複数の場を瞬時に繋ぐ、いわば「どこでもドア」を手に入れたようなものだったと思う。

今回から全3回に渡って、この期間に「どこでもドア」を手に入れた私に、どのような心理的・環境的変化が起きたのかを描いてみようと思う。特に、サードプレイス論と関連付けつつ考察することで、生活の変化の過程で、どのように場所の再定義が行われていったのかを考えてみる。

オンライン化という変化にネガティブな影響を受け入れる人が少なからずいる中で、その変化を肯定的に受入れた事例として読んでいただけたら嬉しい。

複数の場を繋ぐ「どこでもドア」

私の生活に大きな変化を生むきっかけとなったのは、間違いなく新型コロナウィルスなのだが、もう一歩踏み込むと、突如として始まったオンライン生活であった。多くの人が「Zoom疲れ」などのオンライン生活特有の疲労感に苦しむ中、むしろこれまでの生活での物理的な移動のほうに嫌気がさしていた自分としては、妻に「水を得た魚のよう」だと言われるほどにオンラインでの生活に適合した毎日を送っていた。

最初の緊急事態宣言から1年以上が経過した今、私は朝起きると「どこでもドア」という名のパソコンの前に座る。そして朝から本業に取り掛かり、その合間には副業先からの連絡に答える。定時で仕事を上がると、今度は大学院の授業にアクセスし、課題を提出する。日によっては、会社の仲間と始めたコミュニティで集まって読書会を開いたり、関心のあるセミナーに参加してみたりしている。これら全ての活動は、全て同じこの画面の前で行われる。

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今となってはすっかりなじみの光景だが、ほんの2年前にはこういう状況はあり得なかった。

私が勤めている会社はオフィス出勤が基本だったし、大学院に至ってはオンライン授業などという発想もなかっただろう。副業先は元々全員がリモートワークの団体だが、そもそも出勤していたころには副業にあてるような時間的余裕は移動時間で失われていた。

どこでもドアの獲得から起きた2つの変化

少し抽象度をあげて考えてみると、「どこでもドア」の獲得から、私の生活には大きく2つの変化が起きた。

1つ目に、物理的な距離に意味がなくなった

例えば、私が副業先として勤務しているNPO法人は、代表が宮崎に住んでおり、副業を始めてから一度も対面で会っていない。それでもGoogleMeetを使えばいつでも話しができるし、Slackを使って日常的にテキストコミュニケーションが送れる。

これらのサービスはこれまでにもあったが、こういうコミュニケーションが「デフォルトになった」ことが大きな変化であった。つまり、これまでも物理的な距離に意味などなかったのだが、対面で会うことがデフォルトであったこれまでに対して、オンラインで会うことがデフォルトになったことで、名実ともに物理的な距離に意味がなくなったと考えられる。

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2つ目に隙間時間の消失があげられる。

代表的なものは出勤時間だろう。元々こういった状況になる前から大学院進学は決まっていたわけだが、当時は朝出勤をし、夕方会社をはや上がりして、なんとか大学に駆け込む、という生活を想定していた。しかし始まってみれば、17:00に定時で会社を上がった後には、そのままZoomのURLを切り替えれば大学院にアクセスができる生活が待っていた。本業と副業の合間、本業のミーティングの合間、本業と大学院の合間。そういった合間にはこれまで必ず移動時間が存在していた。

これがURLをクリックする、というただそれだけの動作に切り替わったことで、スキマ時間がなくなったのだ。

且つ、それぞれの時間配分を、より柔軟に変更することもできるようになった。例えば、私は会社との取り決めを交わして、週に3回まで就業時間に大学院の授業に出席してもよい、というルールを設けてもらった。これもパソコン一つで行き来ができる毎日だからこそできることであり、通学・通勤を前提としたプランではそもそも成立しないだろう。

「どこでもドア」とサードプレイス論

では「どこでもドア」はどことつながっていたのだろう。場の名称で言えば、会社や大学院なのだが、こうした場を概念的に捉えるため、オルバーグのサードプレイス論を援用してみる。

サードプレイスとは、「人々が日々の生活の仲で多くの時間を過ごす自宅や職場・学校に次ぐ第三の場所のこと」で、オルバーグが著書『The Great Good Place(サードプレイス)』で提唱した概念である。サードプレイスは名前の通り第3の場所であり、家庭(生活拠点)が第1の場所(ファーストプレイス)、職場や学校(生産拠点)が第2の場所(セカンドプレイス)と呼ばれる。

この3つの場所の整理は、まさに私の「ビフォアコロナ」で生きた場に該当する。「ビフォアコロナ」において、私が1週間の間に生きる環境は大きく家庭、職場、趣味の場の3つであった。そして恐らく「どこでもドア」によってつながったのもこれらの場であるだろう。

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一方で、この3つの場所の整理は「アフターコロナ」でどれほど効力を持っているのかには疑問が残る。なぜなら私は常にファーストプレイスにいるからである。

ファーストプレイスから、職場や学校(セカンドプレイス)、趣味の集まり(サードプレイス)にどこでもドアを経由して行ける今、ファーストプレイスとは何なのだろうか。また「どこでもドア」をくぐればセカンドプレイスにアクセスできる状況下で、複数のセカンドプレイスを持つとはどういうことなのだろうか。

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💡

リモートワーク環境で日々深化する作業環境=ファーストプレイス

そこで次回以降、この3つの場がそれぞれ、ビフォアコロナとアフターコロナでどのように変容したのかを自身の経験や心境の変化、捉え方の変化を元に考察をすることで、私に起きた変化を記述することを試みる。

【参考書籍】 レイ・オルデンバーグ他「サードプレイス――コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」」 (みすず書房)

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