中国の強権的サスティナブルに持続可能な未来はあるか
中国の強権的サスティナブルに持続可能な未来はあるか

中国の強権的サスティナブルに持続可能な未来はあるか

公開日
Dec 9, 2021

持続可能性、グリーン経済、質の高い発展、生態文明建設……。

紅い皇帝こと習近平氏が統べる中国では近年、数々の公式文書にサステナ感溢れるワードが胃もたれするほど盛り込まれる。

それに対し、日本を含む欧米メディアの反応は懐疑的意見が多くを占める。

何しろ中国といえば世界最大のCO2排出国であり、持続可能性という言葉から最も縁遠い国というのが一般的なイメージ。

そもそも中国発のアナウンスに国際的信用があるかというと、とっても微妙。所詮は口だけと思われても仕方がない面は確かにある。

だが皮肉なことに、さまざまなデータや事実は、むしろ中国の本気度を示すものとなっている。

一例を挙げると、NASAのデータに基づく研究によれば、2000年〜2017年の世界における森林増加面積のうち4分の1は中国によるものだ*1。

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また、中華の大地に長年暮らす身として言うならば、この国の環境や持続可能性への取り組みは「ガチ」である。

中国の人々は何事も戦争に例えるのが大好きで、大気汚染改善ならば「蓝天保卫战」、つまり青い空を守る戦いということになる。彼らにとって環境対策はポーズどころか「戦争」なのだ。

それに比べると、中国に対して辛辣な言葉を浴びせる欧米の方こそ、掛け声だけで終わっているのではなかろうかと感じること、なきにしもあらず。

誤解される方もいると思うので先に言うと、だからといって「中国を見習うべし」と主張したいわけではない。中国式サステナには、極めて大きな問題もあるからだ。

中国は確かに本気だし、行動が伴っている。

ただし、その手法はどこまでも強権的であり、上からのサスティナビリティという側面が強い。

つまるところ、人民に有無を言わさない強制力を持ち得るがゆえに勝ち得た成果をどう考えるか、それって認めていいのだろうか、ということだ。

今や世界第二位の経済大国となった中国は、さまざまな分野で自国がルールメーカーとなることを望んでおり、そこには環境問題も含まれる。

先進国が足踏みをしている間に、中国は着々と実績を上げていく。

持続可能な社会の実現において、中国が国際的にイニシアティブを握る未来が絶対ないとは言い切れないのである。

そうなる前に、われわれがまず行動! という思いを込めつつ、ここでは中国で実際に行われている環境保護などの事例を挙げ、なぜ現代中国がサステナビリティについて論じてみたい。

国家および最高指導者の威信がかかる中国の環境対策への取り組み

中国が掲げている気候変動対策の目標としては、2030年までのCO2排出ピークアウト、2060年までにカーボンニュートラルを達成というものがある*2。

それに対してよくある批判は「全くもって不十分」。

より高い目標を掲げる国からすればツッコミを入れたくなるのは確かだろうが、中国側から言わせれば、「そういう貴方たちは本当に実現できるのか」という反論になる。

この手の数字は厳然たる国際公約でありながら、達成できなかったからといって批判されることはあっても、罰則に当たるものはない。ある国で政権交代が生じ、合意が反故になることもザラである。

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福建省福州市の全面LEDビル群

ところが中国という不思議の国はひとたび最高指導者が口に発した以上、国内的に縛りが生じる。

なぜなら、今日の中国は最高指導者を無謬の存在と位置づけるからだ。

権力の一極集中を進めに進めた結果、もはや中国国内で習近平氏に反論できる者は、パージ覚悟で声を上げるごく一部の人々を除き、まずいない。

中国のCO2排出削減目標とは、最高指導者が国連総会のスピーチで世界に向けて表明したものであり、持続可能な経済・社会の実現が国家方針として定められた以上、達成されなければならないというのが彼らのロジック。

もちろん中国とは実利的な国であり、あくまで自国の発展に支障のない範囲での取り組みではあるのだが、兎にも角にも中国の爆発的なパワーの矛先が、これからは持続可能な発展に向けられるのだ。

当然こういうお国柄だけに、先進国でしばしば議論になる温暖化懐疑論やCO2削減コストに関する懸念など、中国では広がる余地がまるでない。

温暖化対策は正しい。環境保護は必要だ。だって総書記がそう言ってるから。

……と書くと誇張があるかもしれないし、人々の環境問題や持続可能性に対する意識が高まっていることも事実だが、「上が言うから」というメンタリティであらゆるセクターが功を競うように動くのが中国である。

それでどういうことが起きるかというと、大きな目標のために手段を選ばなくなる。

ここで具体例を挙げよう。

中国で魚といえば川魚であり、フナでもコイでも何でも食べる。そういう食文化であるから、中国では海だけでなく河川でも乱獲が激しく、それに業を煮やした政府は今年1月1日から、長江で10年間の禁漁措置を開始した*3。

全長約6380キロ、中国の「母なる川」を守るためとはいえ、職を失う漁民は30万人とも言われる。

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公園で泳ぐ中国の地元の人々

日本なら間違いなく漁業団体が怒りの声を上げるところだが、中国ではそのたぐいの組織には必ずと言っていいほど党支部があり、上からの指導に従わないということはまずありえない。

そういう無茶ぶりができてしまうのが中国のダイナミズムの源であり、何かと物事を決められない日本とは大きく異なる点。

そして何より、価値観の上で決してわれわれと相容れない部分でもある。

「中国式」を良しとしないためにわれわれがまず自発的な行動を

中国式の強権的サスティナブルには、それこそ掃いて捨てるほど事例がある。そしてそれらは皮肉なことに、割と成果を上げている。

中でも自分が身近に感じるのは大気汚染の改善である。

例えば北京では、かつては大きなイベントの前だけ周囲の工場を止め、気合いで青空にしていたことから「APECブルー」「軍事パレードブルー」などと言われていた。

それが今では、PM2.5削減対策で工場移転を進めた結果、青空など珍しくもなんともなくなった。

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他にも草原の回復を目的とする放牧禁止政策*4などケースには事欠かないが、困るのはこういう措置が往々にして、まるで思いつきのごとくいきなり打ち出されることだ。

自分もかつて会社勤めをしていた頃、中国の工場に衣類の生産委託をしていたのでよく分かる。

「染め物工場が突然決まった環境基準に引っかかって操業停止になったので納期に間に合いません」

そんなのこちらとしては何とかしてよとしか言えないわけで、これも一種のチャイナリスク。

実際には政府および党内で議論が成され、メリット・デメリットを精査したのち政策決定されているには違いないが、そのプロセスが外からは分かりにくい。

ゆえに、中国国内のニュースでは絶対報じられないから目にすることはないのだが、きっと泣いている人もいるだろうと容易に想像できてしまうわけだ。

それらの強権的な取り組みによって暮らしを一変させられる人々がいる一方、それを大きく上回る受益者がいる。

強制力を伴う以上、公正さはまるでないが効果はあるため、過程にこだわらず結果だけを追い求めるとしたら中国式が評価されても不思議ではない。

事実、国際機関などは中国に対して肯定的な見方をすることが多々あり、過去には国連環境計画の「地球大賞」を受賞している*5。

それらの実績は認めざるを得ないが、こうも思う。

そもそも強権的サスティナブル自体に、持続可能性はあるのか。

強力なリーダーが国の舵取りを一身に担い、人々がその指導に従うという統治システム。

それは広大な国土と多くの人口・民族を擁するこの国にとって、中国式に言う「国情に合った」体制であるかもしれない。

しかし、現在の統治がガッチガチであればあるほど、その先に混乱が待っているように思えてならない。

また、かつてに比べればはるかに豊かになり、本来この上なく自己主張の強い中国の人々が、国の言うことを未来永劫おとなしく聞き続けるとも思えない。

力によって築かれた安定は、その力が失われた時、きっともろくも崩れ去る。

それって持続可能性という言葉とは相容れないものではという疑問がどうしても拭えないのだ。

新型コロナがいい例だが、統制や私権制限が効果を生むマターにおいて、中国は明らかに強みを持つ。

では、CO2排出削減や持続可能な社会の実現とは、果たしてそのような強制力を伴う措置が必要なものなのか? サスティナビリティとは、お上に言われてやるものなのか?

違う、そうではないと高らかに言うために、われわれは今こそ自発的な取り組みが求められている。

*1

nature「China and India lead in greening of the world through land-use management」

*2

駐ニュージーランド中国大使館「気候変動サミットでの習近平スピーチ」

*3

中国国務院弁公室「長江流域における禁漁の的確な施行に関する通知」

*4

内モンゴル新聞網「内モンゴル自治区における草原と牧畜の均衡化および放牧禁止・休止条例(草案)」

*5

AFPBB News「『豊かな自然こそが富だ』世界の環境保護をリードする中国」

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執筆者

Deeper ライターズ

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