なぜその特攻兵は特攻しなかったのか?
なぜその特攻兵は特攻しなかったのか?

なぜその特攻兵は特攻しなかったのか?

知覧での「出会い」

先日、鹿児島県にある知覧特攻平和会館を訪れた。ここは、太平洋戦争中の日本軍の特攻兵たちの遺書や遺品などを展示している施設だ。 元々訪れる予定はまったくなかったのだが、鹿児島でたまたま1日、時間が空いたときに行ってみたくなり、レンタカーを運転して、一人でやってきた。

知覧特攻平和会館の入り口
知覧特攻平和会館の入り口

館内には、特攻兵たちの写真や遺書が所狭しと並べられている。彼らの多くは10代後半から20代前半。現代でいえば大学生や社会人になりたての若年者たちが、爆弾を積んだ飛行機に乗り、戦場で体当たり攻撃をして死んでいった。その数、数千人。

施設内にはビデオ上映ができる部屋があった。小さな映画館のような構造をしている。 そこで流された映像を見はじめると、私は涙が止まらなかった。特攻兵たちが遺書に残すのは、勇敢な言葉であるが、最後には母への思いを書いたものが多かったという。それはそうだろう。いかに軍人だと自ら思い込ませ、崇高な使命で死ぬのだと自己暗示をかけたところで、死は怖いものだし、母を残して死にたかったはずがない。

私は去年母をがんで亡くし、悲しかったが、「死すべき順番どおりである」という感覚はあった。母という視点になれば、自分の生きているうちに子が死ぬのは、耐え難いことだろう。

だが、戦場では命令を拒むことはできない。なぜなら、軍人にとっては上官の命令がすべてだからだ。たとえそれがどんな理不尽な命令であっても。

もちろん、現代における各国の正規軍において、理不尽な命令が出たら、それは軍の中で検証されることはあるだろうし、その上官も、さらにその上層部から処罰を受けることだってあるだろう。 ただ、多くの人が知るように、太平洋戦争中における日本軍は、特に戦争末期においては「まともな戦略」が上層部には全く存在しなかった。ゆえに、特攻のような無意味で人命軽視の作戦がまかり通り、なんならその死は美談としてプロパガンダに使われ、更に特攻を支持する構造に組み込まれていったのである。

鹿児島港から望む桜島
鹿児島港から望む桜島

特攻しなかった特攻兵

鹿児島から東京に戻り、もっと特攻について知りたくなった私は図書館で様々な書籍を読んでみた。その中で、特に興味深い1冊があった。それは、劇作家の鴻上尚史氏が書いた「不死身の特攻兵」という新書だ。

著者の鴻上氏が2015年にインタビューした元特攻兵・佐々木友次さんの従軍経験を扱ったノンフィクションである。佐々木さんはその時点で90歳を越えていた。そしてインタビューの翌年、亡くなった。

鴻上氏が佐々木さんに興味をもった理由。それは、佐々木さんが太平洋戦争中に上官から特攻を命じられたものの、命令に従うことを拒否し、特攻に出撃するも度々生還して、そのまま終戦を迎えたからである。その出撃回数、実に9回。

なぜ佐々木さんは、特攻命令に従わなかったのか。

本書を読んでの私の解釈を述べるなら、「特攻が作戦として意味をなさない」ことを合理的に理解しており、かつその無意味な命令を感情として絶対に受け入れたくなかったからである。 佐々木さんは、爆弾を積んだ特攻機で出撃するも、その爆弾を切り離して敵艦に当て、自らは帰還した。なぜなら、特攻してそこで死ねば、その時点で自分というパイロット1名と戦闘機1機を無駄にしてしまうからだ。もし爆弾だけを落として、生還すれば、また次に出撃して戦果を挙げられる可能性が出る。どうせ戦場で死ぬなら、ちゃんと意味あることをして死にたい。彼はそう願い、その意志の通りに行動したのだ。

ここで彼が言うロジックは、我々現代の人間からすれば全くの当たり前だと感じる。 戦闘の本来の目的は、戦果を挙げることである。特攻をしたら、結果に関わらず、パイロットと戦闘機を失ってしまう。 戦争末期、日本軍は資源不足で戦闘機を量産することが困難になっており、また熟練したパイロットも相当数を失っており、練度不足のパイロットが多数を占めるようになっていたことは自明の事実だった。であるならなお、特攻というのは非合理の極みである。

実際に、特攻は数字の上でも非合理であったことが判明している。特攻が通常攻撃と比べて効果が高かったかを戦後に検証したのが小沢郁郎氏だ。彼は自著「つらい真実 虚構の特攻隊神話」の中で、戦時中のデータを集め、特攻が通常攻撃に劣る効果しか挙げていなかったことを明らかにしている。

戦争そのものが悪かどうか、というのはここでは議論しない。

もし自分自身が現場の1人の戦闘機パイロットだったとして、現状をどう考え、命令の意味をどう理解して、それに従うかどうかを判断できるか?その判断のとおりに行動できるか? それを今は考えてみたい。

繰り返しになるが、現代の私たちからすれば、特攻命令には、戦闘効果という意味で合理性は全くなく、愚かで全く従う意味のない命令であると分かっている。いや、実はそれは当時でも同じであった。いくつかの書籍を読むと、特に熟練のパイロットであればあるほど、特攻の無意味さを痛感して、またパイロットの誇りを傷つけられ、怒りを覚えていたことが分かる。 しかしそれでも、パイロットたちのほとんどは、特攻するしかなかった。それは、軍という上官命令が絶対の組織において、従わないという選択肢を、どうやっても持ち得なかったからだ。

だが、佐々木さんは違った。彼は「戦果を挙げよ」ではなく「死んでこい」という無情な特攻命令に、理でも情でも一切納得せず、いかにして敵艦に爆弾を当てて自らは生還するかを考え、実行したのだった。

これは後世の人間が勝手に語る「もし」であるが。 もし、当時の兵士たちの多くが、佐々木さんのように「特攻命令は、合理的にも、感情的にも絶対に受け入れない」と表明して、徹底して従わなかったとしたら。 戦局は、そして日本は、どうなっていたのだろうか。

知覧平和公園に展示されている太平洋戦争中に使われた戦闘機
知覧平和公園に展示されている太平洋戦争中に使われた戦闘機

現代に生かす学び

いま、幸運なことに、私たちのほとんどは戦場に行かなくてよい。特攻に限らず、先の大戦が生んだ膨大な悲劇を繰り返さずに生き、そして死んでいくことができるだろう。

だが、どれほど時間が過ぎようとも、人間の性質は何も変わっていない。特攻という無意味で狂気に染まった命令と、それを支持し増強してしまうような組織化の性質は、私たちの中に存在している。そこに自覚的であることこそ、過去の苛烈なる人類の体験からの学びであろう。

そう、だから私は「戦争反対」というフレーズが嫌いなのだ。その言葉が、あまりにも解像度が低く、本質から目を逸していると感じるのだ。 社会心理学者の南博氏は、敗戦後に出現した思想「一億総懺悔」を戦争に関する当事者責任の回避であるとして、厳しく批判している(書籍「日本的自我」より)。私もこれに同意で、この当事者性の欠落したウヤムヤな懺悔は、思考停止の「戦争反対」の生みの親のように思える。

太平洋戦争中に起きた数々の愚行の1つが特攻作戦であり、加えてその特攻死の神聖化である。その構造を紐解き、見つめたい。そうやって、これから先に生きていく世界の中で、愚行の構造を再現しないように努めていくべきではないだろうか。

とはいっても、集団の強烈な圧力に飲まれている個人に何ができるのか?そんな疑問を感じることも少なくない。特に、会社などの組織に働く人にとって、これは過去の問題などではない。

確かにいま、日本には戦争はない。しかし、愚行を繰り返す構造を持っている組織は、残念ながら存在している。もし自分がその構成員の1人であり、その愚行を認識していながらも、その命令、ないしは「服従が当然の空気」に、正面切って逆らうことはできるだろうか? かなり難しく感じる、という人も多いだろう。 そう感じる事自体は、仕方がない。個人として強く組織に反抗するというのは、とてつもなくエネルギーを使うことだ。そんなことをするよりも、長いものに巻かれたほうが楽。 そう思う心理を否定しても、なにも始まらない。

ただ、私たちは知っておきたい。太平洋戦争末期、自殺命令としての特攻が「絶対正義」だった状況の中で、理でも情でも決してそれに従わず、意味のある出撃をしようとし続けた日本人がいたことを。

【参考書籍】 鴻上 尚史「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」 (講談社現代新書) Amazon 小沢 郁郎「改訂版 つらい真実: 虚構の特攻隊神話」 Amazon 南 博「日本的自我」 (岩波新書 黄版 241) Amazon

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